渋谷修太(しぶや しゅうた)
佐渡市出身。長岡工業高等専門学校・電子制御工学科で学んだ後、筑波大学理工学群社会工学類に編入。在学中に友人と数々のビジネスコンテストへ参加し、学生時代より企業の課題解決に向けたプロダクト開発に取り組む。卒業後はグリー株式会社に入社し、23歳の頃、フラー株式会社を創業。2020年に故郷新潟に本社を移し、自身もUターン。現在は同社の会長でありながら、新潟ベンチャー協会の代表理事を務めるなど、起業家支援も精力的に行なっている。2022年2月に著書「友達経営 大好きな仲間と会社を創った」を上梓。
過ごす場所・人を決めるのは自分。選択の大切さと可能性を見た原体験
ー渋谷さんが起業に至る背景には、幼少期の体験が大きいと著書「友達経営 大好きな仲間と会社を創った」で拝見しました。
そうですね。転勤一家で、小・中学生の時に3回転校しています。特に印象的なのが、小学校6年生の時の転校。友達と卒業したかったのに、なぜ自分だけ離れなければいけないのか。とても悔しかったことを覚えています。その頃からだと思いますが、友人と離れたくないという気持ちと同じくらい、自分の意志で行動できない人生は嫌だ、という気持ちが膨らんでいくんです。
母校である長岡高専での5年間は、本当に楽しかったですね。大好きな仲間が側にいて、興味のある分野について勉強し、研究に集中できる。やっと自分の理想がかなったような気がしました。だからこの幸せを逃したくないって思ったんですよね(笑)
就職という2文字が見えてきた頃、いくら大企業でも雇ってもらうということはリスクだなと感じたんです。自分の意志で住まう場所・一緒にいる人を決められなくなってしまうかも、と。
そこで初めて、在学中に知った“起業”が選択肢に上がりました。僕の周りには頼れる友人がいて、根拠はないけど絶対に上手くいく自信があった。なので、これがやりたい!という明確なビジネスアイデアがあった訳ではないんですが、人ありきで起業することを決めました。
ー「何をやるかではなく、誰とやるか」。これぞ友達経営の原点ですね。当初、友人の皆さんはどんな反応だったのでしょうか?
「会社を作る」と言った時、友人たちは特に驚きもしなかったです(笑)元々「○○をやろう!」と周りを巻き込んでしまうタイプで、そのキャラのせいか誰も不思議に思わなかったんでしょうね。僕自身も完全に、学園祭の「一緒にバンド組もうぜ!」のノリでしたし。
でもせっかくなら、面白いことをやりたいという思いはありました。友人たちとホワイトボードを囲んで、バーっとアイデア出しをして。軸は「スマートフォンで何かする」ということのみ。ビジネスの上でタイミングは大事だと思っていたので、その当時「これからはスマートフォンの時代だ」と思い、軸を決めました。
そこで創業メンバー4人の話し合いの末に決まったサービスが、スマートフォンアプリの開発だったんです。
ー 当初から渋谷さんの「人を巻き込む力」は何かパワーを感じますね。
基本的に楽しいと思うことしかやってきていないんです。
生きていればもちろん、楽しくない場面にも直面します。でも、できる限り楽しく過ごす時間を増やせるよう、選択肢を自分で作りますし、そのための努力は惜しまないですね。
そういった中でモチベーションになるのが、周りの人の存在と常に目標を持つこと。
自分で決めていけるからこそ、作っていけるからこその楽しさが大きな原動力になっていますね。
ニーズの変化に合わせ、サービスも変化を。キーワードはお客様との「共創」
ー起業当初はどのようにサービス展開をしていったのでしょう?
実はアプリのサービスを始める前から、自分たちでアイデアを出してWebコンテンツを作っていたんです。
身近で言えば、高専生が大学へ編入する際に使えるポータルサイトですね。常に「何を作ったら、世の中は便利になるんだろう」ということばかりを考えていました。
創業後は3LDKのアパートを借りて、出資者を募りながらアプリ開発を行っていました。とにかく世の中にないものを形にしていくことがやりがいになっていて、少しずつ仲間も増えていって。
もちろん全て順風満帆ということはなくて、何度も失敗しました。アプリを作っていたので「次は誰でも簡単にアプリを作れるようなサービスを展開しようか?」と舵を切ったら大こけしたり(笑)今思い返すと笑い話ですが、本当に色んな苦楽がありました。
ー2021年には創業10周年を迎え、現在は「デジタルパートナー事業」と事業名も変化していますね。
5年ほど前でしょうか。社会全体のデジタルの動きが変わり、それまでIT領域の相談は同じくIT業界のお客様からの相談がほとんどだったんですが、自治体や製造業、メーカーなどお問い合わせいただく業界に変化が見えたんです。
そこから、お客様と共創しながら作り上げていく「デジタルパートナー事業」へとシフトしていきました。例えばお客様から「こんなアプリを作ってほしい」と依頼をいただいたとします。でも、背景にある本質的な課題がアプリでは解決できないと思ったら、私たちは別の選択肢をご提案させていただいています。
ご相談いただくお客様それぞれに答えがあって、それは必ずしもアプリで解決するとは限りません。無理矢理進めたとしても、お客様、さらにその先のお客様、僕たちも含めて誰も幸せにならないので。
中古品リユース販売業を展開する株式会社ハードオフコーポレーション様は、アプリ開発だけでなく、Webサイトのリニューアルや、広報・プロモーションのプランニングと幅広く担当させていただいています。
ハードオフ様公式アプリ作成事例
https://www.fuller-inc.com/works/hardoff
企業の課題解決を根底に、手段は柔軟に変えていく。デジタル領域での心強いパートナーでありたいと思っています。
ー2020年11月、本社を渋谷さんの故郷である新潟に移しています。このタイミングで新潟に本拠地を移した理由も教えてください。
今後、地方のデジタル化は大事なミッションになります。
僕自身、故郷である新潟を見ていると素晴らしい企業やコンテンツは地方にこそあると実感しています。でもデジタル化が遅れていることで、その良さを発揮しきれていないのです。このミッションを果たすため、新潟に戻ってきたというところはあります。
2022年3月時点の弊社のデータを見ると、首都圏・地方のお客様の割合のうち半数以上が地方になりました。少し前までは首都圏エリアのお客様がほとんどだったので、数字にも現れてきていると思います。
今後も地方のポテンシャルを引き出していけるように、幅広い業界のお手伝いをしていきたいです。
ワクワクできるか、させられるか。信じた仲間と乗る船は刺激的で面白い
ーフラーさんのサイトでまず目に飛び込んでくる「世界一、ヒトを惹きつける会社を創る。」というメッセージがあります。どのようにしてこの「ユメ」にたどり着いたのでしょうか?
フラーが5周年を迎える頃、当時の20名弱のメンバーと一緒に合宿をしたんです。
一つの節目を目前に、僕たちのビジョンや夢って何だろう?と話し合いました。
それぞれがフラーの好きなところや描く未来図を共有して、行き着いた「ユメ」が「世界一、ヒトを惹きつける会社を創る」。
フラー株式会社公式サイトTOPページ
https://www.fuller-inc.com/
僕らのようにソフトウェアを提供する企業は、その原価のほとんどが人件費です。
つまり一番大切なのは「ヒト」。「フラーに入社したい」「フラーと一緒に仕事がしたい」と、あらゆる面で人を惹きつける企業でありたいという「ユメ」を描きました。
なので今こうしてデジタルパートナー事業を展開しているのも、必然だと思っています。
受発注の構造ではなく、主従関係でもない。僕たちはお客様のパートナーでありたい。
語弊がある言い方かもしれませんが、お客様というより”友達”という感覚にも近いかもしれません。恋愛相談を受けて「それならこうした方がいいよ!」とアドバイスをするような。
相手のことを理解した上でデジタル領域のプロフェッショナルとして、持ちうる全てのソースから最適解を提案させていただくのが僕たちの役割ですね。
ー「ユメ」の言語化だけでなく、渋谷さんは社長時代、月次総会でスタッフへ毎回プレゼンをしていたと聞きました。それを楽しみに会社に来ていた方もいらっしゃったとか。
毎月の状況をストーリーベースで共有していましたね。「ワンピースで言うと、今このあたりです」みたいな(笑)メンバーが30名位の頃までは、日々生きていくことに必死で、翌月は違うことを始めるってことはよくあるんです。
それこそ、海賊の船長のように「今はここ。次はこっちへ行くぞ!」と伝えていて。
ロジックでは響かない、いかに共感してもらえるかという部分に熱を込めていました。
その延長ですが、年に2回全社で合宿もやってたんです。一つは「修学旅行」と呼んだ娯楽系の合宿。もう一つは年始に行う事業合宿です。ここでも2時間くらい僕一人で一年の振り返りと、その先のビジョンについて話してましたね。
今は社員数が100名を超えましたが、この流れは今も続いていて月次報告で各部の売上報告が終わった後に社長が30分話しています。
ヒトを惹きつける会社を創る上で、伝えるというのはとても大事だと思いますね。
ー 経営の上で、大きく舵を切る判断が必要な時もあると思います。そういった場面で渋谷さんが心がけていることはありますか?
判断の基準は、ワクワクできるかどうか。そしてできるだけ多くの人が心踊れるかですね。
会社として苦しい時期も、なんとか面白くなる工夫をしてきました。余談かもしれないですが、売上がなかった頃にホワイトボードに10万円達成で牛丼ゲット、1,000万円でグアム旅行って書いたんです。そしたら皆が本気になって、グアム行きが実現したんです(笑)
やれば何でもできるねって話になって、苦しい時期を乗り越えられました。
あと、これは僕の鉄板なんですが、新しいプロダクトを作るとか、何か集中してコミュニケーションを取りたいときは合宿をします。
刺激があって、面白くて、テンションが常にハイのような缶詰状態が、大きな効果を生むんです。
以前は合宿でシリコンバレーにも行きました。ある程度アイデアが固まってきたら僕は給食当番に回ります(笑)日本にいればカレーを作るし、アメリカにいればステーキを焼く。
連れ回して、美味しいご飯を食べて、程よくガス抜きができたら最高のものを作れる仲間だとわかってるんで、いいチームを作るにはこれがベストな進め方なんです。
起業家×クリエイターで街おこし。キャズムを超えた先で新潟のポテンシャルが開花する
ー先ほど「地方のデジタル化は大事なミッション」とおっしゃっていましたが、新潟でデジタル化を進める上で、具体的にどんなことが必要だと思いますか?
コミュニティを作り、クリエイターを増やしていく必要があると思いますね。
クリエイティブ人材は感度が高く、新しいもの好きな人が多い。だから首都圏や海外など、広い世界を求めて出て行ってしまうんです。一番必要なのに、最も流出しやすい属性なんですよね。
なので、地方で盛り上げていくにはその土台があることが大事。仲間が増えてムードができてくれば、さらに人が増えてアップデートされていくと思います。
同時に、クリエイティブの必要性を認識するために、成功事例を増やしていくことも大事ですね。佐渡のゲストハウス「HOSTEL perch」さんがInstagramで集客力を上げたことなど、身近な成功事例を増やしていくことも地方において重要です。
ー渋谷さんは若手の起業家支援にも力を入れていますよね。
起業支援を行うのも一緒なんです。コミュニティができて段々と増えていくと、一気に流れがやってくるんです。
小学校でも、クラスに一人しかいないと浮いちゃうけど、隣の席も、あの席の子も……ってなるとそっちが当たり前になるというか。
ただ、起業家だけ増えても意味がない。一緒にチームを作ってビジネスを形にするデザイナーやプログラマー、ディレクターがいないと、経営したくてもできないので。
パートナーが見つからないのであれば、やっぱり東京で起業しようかなってなっちゃいますよね。
両方を増やしていけるように手を打たなければと思います。
ー最後に、渋谷さん個人としての「ユメ」も教えてください。
3年ほど前から、起業家を増やそうと様々な活動をしてきました。当初は「集合!」と声をかけても10人以下ほどだったのが、先日湯沢でやったら2,30人まで増えました。
確実に新潟の流れは変わってきていると感じています。
これが100人、1,000人まで増えたら「道を歩けば起業家に当たる」状況になるのかな、と。このキャズムを超えたら、確実に街の雰囲気が変わると思うんです。
1,000人の起業家が生まれたとして、1社に10名クリエイターが必要となったら1万人の人材が必要。もはや大事業ですね(笑)
でも実現できることだと思うので、若手起業家たちを巻き込んでいきながら積極的に支援をしています。
最近は新潟でも、仕事やインターンを決める基準が「どちらの方が報酬がいいか」ではなくて「どちらにいる自分の方が好きか」とか「どっちの方がイケてるか」にシフトしてきているように思います。
選択肢が増えていくことで、価値観が変わっていく。
そして地方でやるからこそ、一人ひとりが目立てるんです。
ギャップを逆手に取りながら、皆で面白い新潟を作っていきたいですね。