KATATA YOSHIHITO DESIGN 堅田佳一さん|軸は「企業の課題解決」。ブランドの本質を見て、あるべき未来をデザインする
2023.03.07
| Interviewee |
KATATA YOSHIHITO DESIGN
堅田 佳一(かたた よしひと)
大阪府枚方市出身。大学を卒業後、学生時代よりアルバイトをしていた大阪のデザイン事務所に就職。家電デザインを手掛けていた父親の影響でプロダクトデザイナーを志す。その後、新潟県燕市の包丁の老舗メーカーである藤次郎の企画・開発・デザイン部門に勤務。2014年にKATATA YOSHIHITO DESIGNを立ち上げ、2020年からは、奈良県にある工芸技術を活かした生活雑貨の製造・販売を行う「中川政七商店」にてコンサルタントとして従事。現在は新潟と奈良を拠点に、決算書の読めるクリエイターとして企業のブランディングやデザインを行っている。「Red Dot Design Award」「iF Design Award」「GOOD DESIGN AWARD」等、世界的に評価の高いデザイン賞の受賞歴を持つ実力派クリエイター。
プロダクトデザインを続けるなら、現場の温度を知りたい。藤次郎で拓けた自らの役割
ー 現在デザイン・ブランディングという分野で活躍している堅田さんですが、大学では理工学部に在籍されていたんですね。
そうなんです。ただ、デザイナーである父の影響で、高校生の頃からデザインなどクリエイティブに関する仕事には興味がありました。なので進学の際にも「美大や芸大に行きたい」と相談したのですが、父からは「そんな賭けみたいなことをするな」と言われまして……(笑)
大量生産の時代が終わってモノが溢れ、プロダクトデザインの意味合いが大きく変化していく。そんな中、現代の課題を解決するために作られた場所にいても、得られる学びは時代遅れなものではないか?と。その言葉には、業界で生きてきた父なりの説得力があったので、デザインの世界には惹かれつつも理工学部に進学することに決めました。
でもやっぱり心残りな部分もあって。気づけば美大や芸大以外の出身ながら、第一線で活躍中のデザイナーの情報に目がいくようになっていました。そんな風に調べていると、プロダクトデザインにおいては美術・芸術以外の部分でも通用するポイントがあるように思えてきて。「きっと今からでも遅くない」と光が差してきたんです。
そこで、在学中に大阪のデザイン事務所でアルバイトを始めました。家電・スポーツ用品などのデザインを扱っていた大阪のデザイン事務所で、先輩のデザインを3Dソフトで立体に起こすなどのアシスタント業務を担当しましたね。大学卒業後も、そのまま最初の就職先として勤めることになりました。
ー 大阪のデザイン事務所から一転、縁もゆかりもない新潟の地にある包丁メーカー「藤次郎」に転職されています。その背景を教えてください。
22歳頃でしょうか。念願だったデザイン事務所で働けるのはいいんですが、自分のアイデアやデザインがことごとく採用されない、という期間が続いたんですね。加えて、僕の周りはみんな別会社でも勤務経験のある中堅であったり、芸大・美大で講師をしているような方々で。自分がいるステージとあまりにも距離があって「僕は誰を目標としたらいいんだろう?」ともどかしく思う日々が続きました。
また同時に、「自分は生産現場を知る必要がある」と思うようになりました。このプロダクトは、どんな課題を解決するためにあって、そのためにはどんな機能があるといいのか。一気通貫して触れるには現場に行かなければ、と。
行き先について、神奈川県や静岡県などの候補もあったのですが、お話をさせていただくなかで、燕市にある藤次郎さんに行くことに決めました。企画・開発・デザイン部門としての採用でしたが、実はこの部門の本格的な採用は僕が初めて。それまで外部に依頼していたデザイン業務を自社でやろうというタイミングだったようで、まさに自分の携わりたい部分だったので嬉しいご縁でした。
ー 藤次郎の企画・開発・デザイン部門では、具体的にどのようなお仕事をされていたのでしょうか。
最初は製品の形を作る、デザインをするということだけをしていました。ただ、途中から「自分が良いと思った製品の形・デザインは、会社やお客様にとって、本当に良いものなのだろうか?」ということを考え始めるようになります。
今、僕が藤次郎のデザイナーとして担うべき役割は「会社が必要とするプロダクト」と「お客様が求めるプロダクト」を繋ぎ、そこをデザインすることなのではないか、と思うようになったんです。
そこから、目的に対してどのような製品を作るべきなのか、製品開発において上流の方から関わっていくようになりました。製品の販売期間や売り上げ目標、製品に与えられた役割などを整理したり、現在の経営状況を見てそのバランスを取ったり……。
元々、僕自身はアーティストタイプのデザイナーではなく、目的や課題があってこそ活きるタイプなので、こうした段階からデザイナーとして入ることができることにやりがいを感じました。
プロフィールにもあるように、僕は現在自分のことを「決算書の読めるクリエイター」と表していますが、このような流れからこの立ち位置になりました。
藤次郎 WEBサイト
https://tojiro.net/
ー そこからKATATA YOSHIHITO DESIGNとして独立されますよね。
はい。藤次郎もすごく居心地が良く、自由にやらせてもらっていたんですが、もともと独立の意思があったのと、実際にお客様と接する中で「うちの商品も相談したい」という声が増えていったんです。
そのとき、自分のなかで解決案を提案することはできたものの、藤次郎の一社員として不義理だなと思う部分もあり、葛藤があったので、そういったことが独立する理由にもなりました。
あらゆるデザイン手法から最適なものを選び提案していく「手口ニュートラル」手法
ー 現在堅田さんのお仕事は、商品のデザインというよりも、企業の課題解決やブランディングなどがメインなのでしょうか?
そうですね……。アウトプットがかなり広いので、「これをやっています!」と言い切るのが難しいのですが、キーワードとしてはいろんなところで繰り返し使われている言葉ですが「手口(てぐち)ニュートラル」になるかなと思います。
例えば、プロダクトデザイン事務所を作って、専任デザイナーを集めたとしたら、「製品を作る」ことの上に成り立つ仕事になってしまいます。でも、お客様にとって本当に必要なのは、それ以前の部分で話ができるデザイナーだと思ったんです。
お客様が抱えている悩みは、必ずしもプロダクトを改良すれば解決できる話ではありません。それぞれ糸口は違って、グラフィックで解決するかもしれないし、ブランディングで解決するかもしれない。あるいは、Webサイトをテコ入れすれば一気に解決することもあります。
「今こういう状況なんだけどどうしたらいい?」というお困りごとを抱えた人に対して、あらゆるデザイン手法の中から最適なものを選び提案していくというスタイルをとっています。僕の肩書きとしては、ディレクター兼デザイナー、プランナーですかね。
ー 根本の部分から課題に寄り添っていくということは、長期プロジェクトのケースが多いのでしょうか。
そうなんです。こんなにかかるんだと言われるくらい(笑)
最近、福岡の伝統的工芸品である「久留米絣(くるめかすり)」という綿織物のブランディングに携わったのですが、1年半でブランドローンチまで持っていかないといけないところ、そのうち1年はじっくりとブランド作りを行いました。
その重要性を知っていただくためにも、事前準備はとにかく入念に行います。このときも、担当の方よりも久留米絣に詳しくなる勢いで歴史や背景をインプットし、同じ感覚で課題に向き合えるよう目線を整えました。
お客様に最大の価値を届けるために。忘れてはいけない「対等な関係づくり」
ー 長期のプロジェクトでは、お客様とのコミュニケーションが非常に大事になってくると思うのですが、堅田さんがお客様と接する上で心がけていることはありますか?
お互いが関わるメリットを、理論に基づいて丁寧に説明することを大切にしています。情に任せて、中途半端な関わり方をした仕事は絶対に長続きしません。一緒に組んでよかったなと納得してもらえるように、「課題は○○にあって、私は○○を解決します」と明確にお伝えします。
その時に非常に大切なのが「対等な関係作り」。自分たちが仕事をもらっているという立場ではなく、自分たちの知見をもとに、お客様の専門外の部分で価値を生むんだという姿勢を忘れないようにしています。
丁寧に接することはもちろんですが、言いなりになってしまったらそれは、結局僕たちが仕事として関わる意味がなくなってしまうので。お客様も本来はその部分に期待をしてくださっているはずなので、遠慮するのではなく、対等な目線で同じ方向へ向かうことを意識しています。
ー なるほど。ただ、「自分たちにしか知り得ない知識をお客さまに理解してもらう」ということに苦戦してるクリエイターも多くいるように感じます。デザインやクリエイティブへの認識を合わせるには、どんなことをしていますか?
僕はよく、例え話で相手に理解してもらえるように進めていますね。飲食店の方とWebサイト制作の話をする場合であれば、料理のシーンに例えてみるとか。同じような感情になる場面を探しながら、お客様目線で話をすることを心がけています。
また、業界が違うと流れる時間軸や、言語が全く違う場合がありますよね。そのことを理解して、分からないことはしっかりとお客様から教わる姿勢も大事にしています。
ものづくり一つとっても、シーズンごとにデザインが変わる布製品があれば、型自体の変化は少ない金属製品もある。もちろん僕らのいる業界とも時間の流れ方が違います。
それを理解した上で、お客様にとって動きやすいスケジュールを組むようにしていますね。
あくまで目的は、自分たちが結果を出すとか着地させることではなくて「お客様の状況を良くすること」。自分たちの力を最大限に発揮するために、お互いの認識を合わせることは非常に重要だと思っています。
自分自身をデザインする。アンテナは常に外へと向けることがクリエイティブの底上げに
ー 最後になりますが、新潟でクリエイティブの好循環を生み出すためにも、大切だと思うことを教えてください。
新潟のクリエイティブをアップデートするための方法として、最も早いのは、外部にも目を向けるということだと思います。
僕自身も色んな地域で仕事をしていますが、全国には尖った、特色のあるクリエイターの方々が沢山います。「こういうアウトプットがあるんだ」と学び、自分の血肉とすることは大事ですね。
それと同時に、その土地の企業と地元のクリエイターがタッグを組むことの重要性も感じています。やはり、永続的な関係づくりには地域の繋がりは必要です。
新潟にいながらも地元で完結せずに、仕事をする。そんな流れが増えていくと、全体が底上げされていくと思いますね。
あとは、自分のポジションをどうデザインするかもクリエイターとしては大切なことではないでしょうか。
僕自身は、自分はお客様のパートナーとして「経営課題の解決をデザインしたい」と思うようになった頃から、見える世界や役割が一回りも二回りも大きくなりました。
自分が有名になるよりも、自分が関わったものを有名にしたいと思ったんです。
自分は何がやりたいのか。何を目指すのかを言語化し、そしてそのための力をつけていくことが未来を作ると思いますね。
最近、お客様にまずは1,3,5年後のToDoリストを作っていただくことから始めることもあります。
そこから「ではこのように実現しましょう」「このあたりは数字を達成してから進めましょう」と現実的なラインを設計していきます。
これと同じように、クリエイターも自分自身の未来設計が大きな鍵となるのではないでしょうか。