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インタビュー

株式会社ソルメディエージ 丸山健太さん|「夢中は可能性を変える」現場主義20年を通して新潟の若手クリエイターへ繋ぐ想い

2023.02.28

| Interviewee |

株式会社ソルメディエージ

丸山 健太(まるやま けんた)

1977年生まれ。新潟県三条市出身。学生時代、野外フェス等での映像・空間演出をきっかけに、都内の照明・映像関連会社へ入社。2003年に友人とともに個人事業にて起業。2005年に有限会社ソルメディエージにて法人化。2015年に株式会社ソルメディエージに組織変更。本年2023年に創業20年を迎える。新潟から日本全国、世界を舞台にデザインワークを主軸とし、WEB制作、映像制作、そしてプロジェクションマッピングやライトアップ、イルミネーション等の企画やコンテンツ開発とハードからソフトまで一貫したプロデュースを得意としている。2020年には新潟市中央区のイノベーション拠点「NINNO」にサテライトスタジオを開設。また2022年には新社屋移転と共に、地方では最大級のバーチャルスタジオを開設と新たな配信コンテンツの分野の挑戦をスタート。一般財団法人プロジェクションマッピング協会理事。新潟ベンチャー協会理事。

「夢中は可能性を変えていく」好きなことを突き詰めた先にあったもの

ー 大学進学を機に、出身の三条市を離れた丸山さん。その後「株式会社ソルメディエージ」を立ち上げるまでにどのようなことをされていたのですか?

大学は群馬県の大学に進学しました。滑り止めで商学部に入ったのですが、全く興味がわかず、入学後すぐ大学に行かなくなってしまったんです(笑)そんな中で、進学した群馬県にちょうど全国的にも有名なクラブがあることを聞き、アルバイトを始めことがきっかけで元々好きだったDJに夢中になりました。そのまま映像をクラブで流したいとVJ(※1)にのめり込んでいって。

アルバイトはもう完全に丁稚奉公の修行でした(笑)当時はDJからのスタートでしたが、DJブースに立ちレギュラーになるまでは1年以上かかりました。学校へ行くより毎日楽しくて、さらに学校へは行かなくなりましたね。しかしその当時に出会った人や経験が、今の自分を作っていると思っています。

※1 VJ(ビデオジョッキー):クラブやコンサートなどでフロア正面のDJブース後ろにあるスクリーンに流れる照明や映像を演出する者

当時の学生はみんな学校推奨でWindowsを買うんですが、私は納得がいかず。巷ではまだレアだったMacを購入しクラブイベントのフライヤーを作ることからスタートしました。当時は全て独学だったので、スキャナーの使い方やアウトラインの取り方など一つ一つ教えてもらいながら次第にハマっていき、IllustratorとPhotoshopの使い方を覚えたんです。印刷屋さんにもすごく怒られていましたね(笑)お前は基本を知らずに何をやっているんだって。当時はあまりインターネットにも情報がなかったので、試行錯誤の日々でした。でもそれが良かったんだと思います。やりたいことを実現するために、夢中になって調べて勉強しました。

ー VJをきっかけにして、好きなことをどんどん突き詰めていったのですね。

そうですね。学生時代のVJをきっかけに空間演出に興味を持ち、照明も非常に空間を生かす素晴らしいものだと思ったんです。ちょうどクラブで最新鋭の照明装置があり、高揚したのを覚えています。その経験は映像と同じく照明は人を感動させ、気持ちを動かすものだと思っています。

例えば異性を誘って告白したくて食事にデートに行くとします。明るい蛍光灯の下ではムードが出にくいですし、お酒の進み方だって変わります。告白したくてもそうはいかない環境がそこにはあるわけです(笑)目的に合わせた空間を作るためには、照明はとても大事な要素なんです。

そのまま学生時代は映像にどっぷり浸かり大学卒業のタイミングで東京にある照明や映像の設備やプログラムに強いベンチャー企業にお声がけいただき、新卒で入社しました。照明や映像を主軸として現場を徹底的に経験しましたね。アミューズメント施設やクラブと全国各地の最先端に触れることができました。会社に就職後もVJ活動は続けていましたね。

結局新卒で入社した会社は2年間ほど在籍して退社し、新潟にUターン。戻ったあとはしばらくのんびりとした生活を送っていました。ちょっと疲れが出たのでしょうね。完全に職種の違うアルバイト生活を1年くらいし、好きなVJ活動やクラブイベントのフライヤー(チラシ)作り等を続けていました。でも今考えるとニートのような生活を送っていましたね(笑)親も相当心配したことでしょうね。

ーそのような経緯で新潟に戻って来られたのですね。そこから株式会社ソルメディエージを創業されるまでの流れを教えてください。

新潟に帰ってきてからはアルバイトをしつつ好きなことをやって生きてやろうとか、VJで食べていきたいなーとか。お金はないけれど、インスピレーションと興味だけで生きていた感じですね。周りから見たら結構ダメな人だったと思います。(笑)

当時の日本はワールドカップ真っ只中で、新潟のワールドカップ関係のWEBページのお手伝いをしていました。といっても、私は映像は作れるけれどWEBは全く知識がない状態。おもしろそうだけど自分でやるしか術はなく、初めはHTMLの組み方やサイト構築を勉強しながらの納品という感じでした。今考えたら恐ろしいですよね(笑)

ちょうどその頃、昔からのVJ仲間や一緒に映像を作っていたWEBに明るい友人が、そんな環境を見て手伝ってくれたこともあり、その流れで新潟に集合し、起業をしました。大手で就職してたメンバーや役職を持っているメンバーもいたのですが「やってみるか」といった勢いで揃ったメンバー3名で「ソルメディエージ」を個人事業でスタートしました。会社の所持金も当時口座に20万円ぐらいでのスタートでしたね(笑)一緒に始めた脱サラした友人から、運転資金でお金を借りてもいましたから(笑)そこから1年ほどで資本金300万円を準備し、有限会社として法人化。2015年には資本金1000万円で株式会社として組織変更を行いました。

ー当時を振り返ってみていかがですか?

全てが楽しかったです。その反面、プロとしてお金をもらって仕事をする怖さも感じていて。ただ、それに勝るぐらい、たくさんの新しい経験に胸を弾ませていて、すごく充実した日々を送っていましたね。

一方で、人生で1番お金がない時期でもありました。しかし全然辛くはなかったですよ。今は違いますが、当時からお金や起業をしてトップを目指そうとか、会社を大きくしようとか思ったことがなくて(笑)好きなことの延長線で夢中で仕事をして、人を喜ばせることや驚かせること、「何これすごいね」と言われることが、やりがいでした。ただ、やはりビジネスをするには利益の追求は大切です。もっと人を喜ばせたい、驚かせたいというチャレンジをし続けるために、自然に法人化に繋がっていきました。そして、その軸は今もブレていません。ですので、会社の理念にも”夢中”という言葉を入れています。

会社やクリエイティブへの想いを綴ったHP

 

ー会社創業時から、“夢中”を突き詰めた結果、現在に至っているということなのですね。丸山さんの原点である“夢中”について、もう少し詳しく聞かせてください。

どのようなときでも、頑張らなければいけない状態と時間を忘れて夢中になり没頭している状態では、吸収スピードが異なると思っています。ゲームに夢中の子どもの吸収力は、努力して越えられるものではない。我々は夢中からスタートしてる会社ですので、お客様を夢中にさせなければいけないし、僕らも自分自身が夢中になれる、共に夢中になれる仕事を目指しています。双方の“夢中”は不可能を可能にし、見えない未来や可能性を変えていくんです。

弊社に依頼されるお客様は、イチから新しいものを作りたいという方が多いです。他の企業では前例がなく難しいという決断を下す場合もあるかと思いますが、弊社では、夢中になれると思ったことであれば「NO」は言わない。高いハードルや失敗もたくさんあるのですが、そういったものを”夢中”で形にしています。

頼られたらどうしても実現したい性分でもあります。

ただもちろん大きな壁や困難もあります。簡単ではない。

ただ立ち止まった時、逆境のときにこそ“夢中”が突破する大きなパワーになります。

ゼロから1を生み出すことは昔も今も変わっていませんね(笑)おもしろければ実現に向かい突き進む。性格的に昔からそうだった気もします。他の人と同じことをしたくない性分というか。

「なんでもできる」クリエイティブ集団で新潟を牽引。挑戦し続ける先に見える未来

ー現在、ソルメディエージではどのような事業をされているのですか?

デザインワークスを主軸に、Webやグラフィックデザイン、映像制作、最新技術を利用したデジタルサイネージやプロジェクションマッピング、空間演出のプロデュースなどの事業を行っています。

プランからハード面、ソフト面と全てを社内で一貫で対応できるプロ集団なイメージです。

ご依頼いただくお客様のほぼ90%以上が口コミや紹介ですので、弊社には営業という部署がありません。

ーどういった内容のご依頼が多いのでしょう?

2013年頃からは映像やイルミネーション、ライトアップといった空間演出の仕事を手がけるようになり、以後実績とともに弊社の認知度も高まった気がします。
その頃から全国様々な企業様や行政の皆様とのお仕事をするようになりました。

コロナ以前は、夜のナイトタイムエコノミー(※2)として日本全国の観光地を映像や照明、再生テクノロジーを駆使して空間を作るご依頼をいただくことが多かったです。コロナ以降は、配信のご相談が多くなり現在はバーチャルスタジオの運営等も行っております。

※2 ナイトタイムエコノミー:地域の状況に応じた夜間の楽しみ方を拡充し、夜ならではの消費活動や魅力創出をすることで、経済効果を高めることを目的に行う事業。

NIIGATA A HIDDEN GEM
新潟市 海外向けPR動画

WINDOW ON THE FUTUREーGaudí Meets 3D Printing YKK AP presents “未来をひらく窓ーGaudí Meets 3D Printing” 
ウェブサイト制作

ーさまざまなお仕事をされているのですね。しかし、ソルメディエージの社員は現在10名ほどだとお聞きしました。限られた人数であると思うのですが、少ない人数で多数の事業を展開する秘訣はありますか?

弊社では社風として全員が「なんでもやる・なんでもできる」という体制になっています。そのため社員には、職種問わず打ち合わせや制作、来客の対応などをしてもらいますね。

例えば、映像に関しても、撮影だけ・編集だけという時代ではなく、映像の出力先がWebやマッピングなどたくさんの場面に絡んできているからこそ、職種の垣根を越えていろいろなことを経験する必要があると思っていて。そうすることで、会社やグループを離れたとしても、市場に必要とされる人材になるんです。うちの社員は、たとえ会社がなくなっても、世界で必ず必要とされる人間に技術も心もなっていると思っています。

あとは、会社の雰囲気として、新人に対してその人の領域以外のことも自然と教える流れができています。そのため、映像を撮影しながらプロジェクションマッピングの調整などもできるスタッフもいますね。これは私自身が現場に出て、実際に手を動かしながら社員に教えている背中を見て、という経緯もあるかもしれません。
とにかく社員には色々な経験を通して、夢中になってもらいたいんです。専門性のある技術の特化はそれは必要だと思いますが、新たな情報や価値に気づいて夢中になってアップデートすることが個人の資質を伸ばす一つだと考えています。

だからこそ、弊社は「何をしてる会社なの?」と言われることも多くて(笑)でも今は、分からないぐらいがちょうどいいのかもしれないと思っています。人によって、プロジェクションマッピングの会社や映像の会社などと思っていただいていたり、時には、名刺を作れるんですか?と聞かれることもありますね(笑)デザイン会社なんですけどね。

これがとても重要なのですが、私たちと志を共にできる協力会社様やパートナー様に助けられ今があると思っています。弊社だけでは様々な挑戦は実現できませんし継続はできません。双方共に協力し、会社も成長するからこその今と思っています。人は一人では生きていけません。常に周りに感謝の気持ちを持つことがとても大切です。常に相手の立場に立ち、クライアントも協力会社様も全てがハッピーにならなければと常に思っています。

ー会社としての今後のビジョンはありますか?

本社を新潟に置いているからこそ、新潟にソルメディエージという会社があってよかったと思われる会社にしていかなければいけないという気持ちがあります。大きくいえば日本にソルメディエージがあって良かったねって思っていただけること。

また、私自身がこの20年間、いろいろな人に助けられて今があるので。自分自身が上の世代にお世話になったように、今の若い世代にも還元していきたいと思っていますね。会社も成長し年齢も重ねたので、引っ張っていかなければとは常に思っています。

新潟には本当に志高い若い経営者やクリエイターが集まってきていると思います。本当に素晴らしいことです。

あと、やはり新潟県内にとどまる仕事内容だけではないので、壁を作らず、 常にチャレンジしている会社でありたいです。日本全国、そして海外にも仕事の幅を拡大したいと思っています。そのため、最近は子どもと一緒に家の近所の英会話スクールに通ったりしているんですよ(笑)50歳までには海外進出を目指しています。

「新潟を選んで住む」。クリエイターの未来予想図

ー最近の新潟の経営者・クリエイターについて感じることはありますか?

先ほども述べましたが、近年、新潟に経営者・クリエイターが増えてきたと感じている人は多いと思います。勢いのある企業が新潟に本社を移すという流れもありますね。イノベーション拠点「NINNO」などのスタートアップ・ベンチャー企業が集まる施設や、新潟ベンチャー協会設立といった流れもあり、今まで前に出てこなかった経営者やクリエイターが自ら前に出てアプローチする場も多くなりました。リソースの確保も幅が広がって、ますます起業しやすい環境が新潟には増えています。

ー新潟のクリエイターをもっと増やすためには、どうしたらいいと思いますか?

単純にクリエイティブな人が集まれば良いということではないと思っていて。全国や世界を相手にしたクリエイターが「新潟を選んで住む」流れを作ることができたら、新潟にクリエイターを増やすきっかけになるのではと思っています。刺激的な交流の場も必然的に増えます。

なぜなら、クリエイティブを行っていくためには、心身ともに健全な環境が絶対に必要だから。これは私が新潟にとどまる、大きな理由になっています。

新潟って、やっぱり心地が良いんです。人や街が、せかせかしていない。交通インフラも新幹線を使えば2時間で東京に行けますし空港だってある。東京のスピード感と感覚を持ちながら、十分仕事ができると思っています。そして、何よりご飯がおいしい(笑)

単純に幅広いアンテナを持って常に情報を拾いたい場に身を置くのであれば東京に行くべきですが、こういった居心地の良い環境が、クリエイティブを生み出す人にとっては非常に大切だと思っています。新潟の環境の良さに気づくクリエイターがもっと増えてほしいですね。ただやはり情報を集めに行くアンテナと行動力、そして常にどんな場所でも自分と戦い自分を磨く術を持っていないと難しいと思います。だって居心地が良いから反作用だってあるわけです(笑)

ー最後に、今後の丸山さん自身が新潟で担っていきたい役割や思いを教えてください。

私が会社を立ち上げて、クリエイティブでご飯を食べていこうと思ったとき、先輩たちがとても応援してくれたという実感がありました。ですので、今後は新潟のクリエイティブシーンでスタートする人に対して、同じようにサポートしていく存在になりたいと思っています。あとは、新潟のクリエイティブシーンにおけるロールモデルのうちの一人になれたらいいなと。

ただ、サポート、ロールモデルなどと言いつつも、私は自分の立場が上だとは全く思っていなくて。現在は会社の代表という肩書きになり年齢も重ねてしまいましたが、今でも現場に出て、配線をいじったり高い場所に登ったりと、THE・現場の人をしています(笑)心は創業当初と同じ、“夢中”に貪欲な若者のままです。

自分も若い気でいましたが、周りを見ると本当に若い経営者が増えました。彼らがいてくれるからこそ、自分ももっと頑張らなきゃ、もっと前のめりで夢中にならないとと思うようになりました。本当にありがたいことです。

まだまだ道半ばですが、20年近く事業を続けてようやく40歳半ばを迎え、自信をもてる自分や組織になってきたと思っています。共に走り続けてきた社員にも本当に感謝しかありません。そして起業当時から何もない自分についてきてくれた妻にも感謝しかないですね。文句も言わず好きなことさせてくれましたから。

会社自体は、これからは好きなことにもっと夢中になれる環境と、給与面も充実し家族との時間も大切にできる「幸福を感じていただける環境」を充実させていきます。

おもしろい、刺激的であるからこそ経営面、業績はしっかり形にしなければと常に考えており、それは好きなことを仕事にしていると言える経営者としての責任だと思っています。ちなみに起業後に赤字は一回もなく、全て黒字経営を貫いているのが自慢です。好きなことを仕事にして、言いたいことを言って、業績が悪ければかっこ悪いじゃないですか。

これからも常に輝かしく“夢中”になっている、若者にちょっとブレーキされるくらいのパンチのある変わったおじさんでいなきゃだなと(笑)

新潟という土地も、県外からおもしろい人が集まったり、地元から新しい芽が生まれたり、新潟のクリエイティブに新しい風が吹くといいな、とは常に思い続けていますね。新潟はそのポテンシャルがありますから。その受け皿は担いたいと思っています。その方々と一緒に“夢中”になれる仕事をもっと新潟に生み出していきたいですね。

僕自身も常に前のめりで好きな空間演出とあたらしい物で皆さまを驚かせ喜んでいただき、常に“夢中”で前のめりでいようと思っています。

あの勢いのある、変わったおじさんにみんなで続いて行こう!と、若手の見本になれるよう歳を重ねて行きたいです。生涯現役で現場に立つことが目標です。これからも新潟人として、日本人としての誇りを持ち、世界を目指してまだまだ走り続ける所存です。

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